next up previous
Next: 3 G1 Up: On the ``stellar dynamical'' Previous: 1 初めに

Subsections



2 M15

2.1 観測「事実」と解釈

まず、観測からどのような論理でブラックホールの存在が結論されるかをまと めておく。

球状星団なので、分布は球対称であるとして、速度分布は等方的である と仮定する。表面測光(実際には、 M15 の場合には巨星の star count)から、半径方向の投影された輝度分布が求められるので、球対称を仮定 して空間的な輝度分布、すなわち星の数密度分布が求められる。

次に、速度分散プロファイルを求める。 M15 の場合には、個々の星がハッブ ルでは分解できるので、分光観測からそれぞれの視線速度を求め、星団全体の平均 の視線速度からのずれの分散を計算して速度分散プロファイルを求めることが できる。

さて、恒星系力学の初歩を学んだ人ならだれでも知っているように1、ジーンズの定理を使うと、ある恒星のグループについて数 密度分布と速度分散の分布が分かれば、星団全体の質量分布を決めることがで きる。 M15 の場合、速度分散が決められるのも、数密度が決められるのも巨 星段階の明るい星だけだが、それから「全体の質量分布」がどうなっているか 分かるのである。 従って、原理的には質量分布を直接求めて、中心にブラックホールが あるかないかが決められる。

「原理的には」と書いたのはもちろん実際にはそんなにうまくいかないからで ある。輝度分布はともかく、速度分散はノイズが極めて大きい。特に中心付近 では、巨星の数自体が少なくなってくるのでどんなに精密な観測をしても small-N ゆらぎのために精度が上がらない。このため、ブラックホールがある かないかという議論は、実際には以下のような手順でなされることになる。

  1. 適当な $M/L$ (質量-輝度比) プロファイルを仮定して、輝度分布から質 量分布を求め、求まった質量分布から速度分散の分布を求める。

  2. この時に、中心に適当な質量のブラックホールを仮定する。

  3. $M/L$ 全体に掛ける係数とブラックホールの質量をふってみて、 $\chi^2$ 値がもっとも良いモデルが「観測結果」であると信じる。

つまり、観測事実とブラックホールの間には、以下のような仮定やモデルがは いっているのである。

  1. 空間分布は球対称である

  2. 速度分散は等方的である

  3. モデルとして使った $M/L$ のプロファイルは正しい(誤差をもたない)

実際にはこれらの仮定が本当かどうかはわからないわけだが、それによる不確 定性は$\chi^2$ 値、つまりは結果のエラーバーには全くはいってこないこと に注意して欲しい。こんなことは実際に観測をしている人にはいうまでもない ことかもしれないが、理論家には観測からなされる主張の何が仮定で何が事実 であるかを見極めるのは必ずしも容易なことではない。

さて、理論家の側から見ると、上の3つの仮定のうち最初の2つは、熱力学的な 緩和時間が短い球状星団の中心部に対しては極めて妥当なものである。これに 対し、 $M/L$ のプロファイルには注意が必要である。

M15 の場合、星団全体の緩和時間が宇宙年齢よりもかなり短い。もちろんこの ために中心部が重力熱力学的崩壊(core collapse)しているわけである。緩 和時間が短いので、重い星は mass segregation により中心部に沈む。年齢が ほぼ宇宙年齢である球状星団では、もっとも重い星は初期に出来た中性子星や 重い白色矮星である。現在巨星である星は生まれた時の質量が 0.8 太陽質量 程度であり、光っている星の中ではもっとも重いが 1.4太陽質量の中 性子星や、それに近いところまで分布する白色矮星に比べると軽い。

このことは、もちろん Gerssen 他にも理解されていて、彼らは $M/L$ につい て2通りの仮定を置いている。一つはもっとも単純だが現実的とはいいがたい $M/L$ が一定という仮定である。もうひとつは、Indiana 大学の Haldan Cohn のグループが軌道平均 Fokker-Plank 方程式を数値的に解いて、 M15 の 1997 年当時の観測データを再現したモデルで求まった $M/L$ プロファイル である(Dull et al., 1997)。これは適当な初期質量関数から、星団全体で中 性子星、白色矮星の割合を仮定し、見える星は 0.8太陽質量から下であると仮定して、つまり、球状星団ができた時から「現在の」質量関数であったとして 進化計算させたモデルであり、中心にブラックホールは存在しない。

Gerssen 他はこの両方のモデルで、ブラックホールの質量の推定値についてほ ぼ同じ結果を得た。非常に違う仮定で同じ結果を得たので、彼らはブラックホー ルがあるのは確実であると判断したのであろう。

しかし、良く考えてみると、 $M/L$ について非常に違う仮定をしたにもかか わらずブラックホールの質量が同じになるというのは奇妙なことである。実際、 Dull 他は1997年当時の輝度分布と速度分散分布を両方再現するようにモデル を構成したのだから、 1997年に求まっていた速度分散分布とハッブルを使っ て改善したものの違い程度しかブラックホールはでてこないはずである。

では、速度分散の違いはどの程度かというと、確かにハッブルによって今まで よりも中心近くの星が観測できて、速度分散のグラフが中心まで延びたが、実 は比べてみるとその延び方は Dull 他の Fokker-Planck 計算の結果とほとん どずれないものだった 2

さて、なにが問題だったのだろう?

2.2 シミュレーションモデル

人の観測結果(とその解釈)と、それとは別の人の理論計算を比べていても今一 つ要領を得ないので、理論計算のほうは自前で準備してみることにした。 M15 は典型的な PCC (Post-core-collapse) 球状星団なので、我々が、というか Holger Baumgardt が計算した現実的な球状星団の進化のサーベイ計算 (Baumgardt and Makino, 2003)の中から、銀河中心からの距離が類似でやはり PCC の状態、正確には現在まさに collapse した瞬間であるものを持ってきた。 初期質量関数等は業界標準なものであり、特に M15 に合わせたパラメータチュー ニング等は行っていない。

星団の質量や速度分散などは完全に同じではない(粒子数がそもそも少ないた め)ので、我々が目的としたのは精密な定量的比較というよりは、シミュレー ションで作った星団を、Gerssen 他と可能な限り「同じように」観測したらど う見えるかということである。なお、とりあえず中心にブラックホールができ ない進化モデルを考えた。これは、人工的にブラックホールができなくしたと いう意味ではなく、現在ちょうど最初の collapse にあるような進化シナリ オではブラックホールはできないことがわかっている。最初から非常に中心密度が高く、数百万年 で collapse するようなシナリオではブラックホールができる可能性がある (Ebisuzaki et al., 2001)が、今回はとりあえず通常のシナリオを採用した。

2.3 モデルと観測の比較

シミュレーションで出来た星団の「観測」 結果を図1に示す。

Figure 1: Line-of-sight velocity dispersion of the $V<19$ stars in the $N$-body simulations (filled circles), and inferred from the stellar number density and cluster potential (solid and dashed curves). The solid curve shows the inferred velocity dispersion of stars with $V<22$, using the potential calculated from all stars. Dashed curves are calculated using the potential determined from stars with $V<22$, assuming a constant $M/L$, together with central point masses of (bottom to top) 0, 40, 80 and 120 $M_\odot $. The value of $M/L$ is chosen to fit the measured velocity dispersion between 1 and 10 pc from the cluster center. For constant assumed $M/L$, the best fit has $M_{\rm BH} \sim 80M_\odot $.
\begin{figure}\begin{center}
\leavevmode
\epsfxsize\columnwidth
\epsffile{f3.eps}\end{center}\end{figure}

エラーバーつきの点は、巨星の速度分散の観測結果である。 1 パーセクから 内側で、中心にむかってゆっくりと上がっていることがわかる。 Gerssen 他 の観測結果と定性的な特徴は非常に良く合っている。破線は、 $M/L$ 一定と して輝度分布から速度分散を求めた結果である。 下から順に、中心ブラック ホールとして 0, 40, 80 および 120 太陽質量を仮定した。これでは 80 太陽 質量程度がもっとも良くあっていることがわかる。我々のモデル星団の質量は M15 の 1/40 程度なので、 M15 に換算すると 3,000太陽質量となり Gerssen 他の結果と妙に良くあっている。

いうまでもないが、我々のシミュレーションモデルでは中心にブラックホール はない。 80太陽質量のブラックホールがでてきたのは、純粋に $M/L$ 一定の 仮定のためである。実線で示したのが、 $M/L$ 一定の仮定をおかず、実際の 質量分布から求めたジーンズ方程式を使って求めた速度分散である。当然の結 果であるが、これは速度分散の「観測」結果と極めて良く一致しており、ブラッ クホールは必要ではない。

2.4 解釈

シミュレーションからはっきり確認できたことは、標準的なシナリオに従って 進化した、 collapse した球状星団を持ってきて、 $M/L$ 一定として解析す るとブラックホールの存在が結論されるということである。もうひとつ、ある 意味もっと重要なことは、シミュレーション結果は M15 の定性的な特徴を極 めて良く再現した、特に速度分散や輝度密度のべき等をほぼ完璧に再現したと いうことで、これは標準的な球状星団のシナリオに対する強力なサポートになっ ている。

ともかく、 $M/L$ 一定の解析ではそこにはないブラックホールがあることに なってしまうので、これは駄目である。既に述べたように Gerssen 他は $M/L$ にモデル計算の結果をいれた解析もやっているわけだが、これはどう考 えても正しく計算できていれば $M/L$ 一定の時よりもブラックホールの質量 が小さくならないといけないので、あまり変わらないという結果になったのは、 おそらく彼らの計算が間違っているからと考えるべきであろう。

我々は上のように考えて論文を投稿し(Baumgardt et al., 2003a)、Gerssen と共著者にはプレプリントを送った。すると、数時間のうちに 「$M/L$モデルをいれた計算には間違いがあって、現在再計算中だ」と返事が あり、さらにその数時間後にはその再計算の結果が投稿され、プレプリントサー バーにも登録されていた(Gerssen et al., 2003)。

間違いは一体どういうものであったかというと、Dull 他の論文の $M/L$ のグ ラフの横軸の目盛りが約 3倍間違っていて、そのグラフを信用したので $M/L$ が大きい領域の半径をそれだけ小さく見積もっていた、つまりは中心部で $M/L$ が大きくなるのがほとんど計算に入っていなかったというものである。 なるほど、 $M/L$ が一定の計算と同じ結果になったはずである。

Gerssen 他の修正版の論文には、ブラックホールの質量は小さいけど存在はし てると主張されているが、$1\sigma$ エラーバーのほうが質量よりも大きく、 これはブラックホールの質量に上限値をつけただけの結果と解釈するのが普通 である。いいかえれば、現在の観測結果をもっとも普通に解釈すると、 M15 の中心に巨大ブラックホールは存在しない。


next up previous
Next: 3 G1 Up: On the ``stellar dynamical'' Previous: 1 初めに
Jun Makino
平成15年5月13日