牧野淳一郎
ここからは、これまで断片的に扱ってきた連星の役割について少しまとめて議論す る。
連星の基本的な働きは、単一星ではないことによって2体の近接遭遇をより複 雑なものにすることである。普通の物質でいえば連星は分子や、複数の核子か らなる原子核にあたる。結合状態になることによって熱エネルギーを出すわけ である。
しかし、普通の分子や原子核とは根本的に違うところがある。それは、 分子や原子核はその構成要素が原子や素粒子であり、それぞれを考える普通の エネルギー状態では量子力学的な基底状態があってあるところまでしかエネル ギーを出すことができない。また、基底状態のものは基本的に安定で、エネル ギーや角運動量といったものが保存する。これに対して、恒星系の連星では
といったわけで、通常の化学反応や原子核反応とはある程度アナロジーが成り 立つが、それは「ある程度」にとどまるものである。
まず、特に2体緩和による進化を考える上では有用であった熱力学的(統計力学 的)議論を連星がある場合にまで拡張することを考える。
単純な例として、断熱壁(完全反射壁)で囲まれた空間の中に粒子が3個ある場 合を考えてみよう。簡単のため、系全体のエネルギーは正(重力エネルギーよ り運動エネルギーが大きい)とする。
粒子3つの系で統計力学を考えることに意味があるのかというのは自明な問題 ではないが、ここではとりあえず意味があるという前提で話を進める。
普通の、例えば van der Waals 力で相互作用する粒子からなる系であれば、 これくらいの粒子数でも相転移を起こす。つまり、エネルギーがある程度より 高いなら3つが勝手に飛び回る状態が安定状態であり、エネルギーが低いなら 結合した状態が安定状態である。これは、直観的には、エネルギーが高い 時には、束縛エネルギーの分損をしても、粒子が動く範囲を広げることができ るほうがエントロピーを増やすことができる(位相空間が広い)のに対して、エ ネルギーが低い時には空間内で動く分を犠牲にしても束縛エネルギーの分運動 エネルギーを増やしたほうがエントロピーを増やすことができるからである。 もちろん、エネルギーが非常に低いと粒子3個とかだとそもそも全部が集まっ た状態しか存在しえない。
そういうわけで、上の説明は、普通の分子間力とかであれば、気相か液相かは 温度で決まる、という極めて普通の話である。運動エネルギーが結合エネルギー より十分大きいなら気相になる。これを自己重力系に適用しようとしてみる。
問題は、質点近似の範囲では結合エネルギーが有限ではないことである。
上の、通常の分子間力の議論では、結合エネルギーに最低値があるので、それ と無限遠での値との差が気相と液相の境界を決めるエネルギースケールになる。 しかし、重力3体問題ではそのようなエネルギースケールは存在しない。この ことは、原理的には、運動エネルギーがどんなに高いものを考えても、 十分に軌道半径が小さい連星を作れば全体としてはエントロピーを増やすこと ができる、ということを意味する。
ここではエントロピーという言葉をかなり適当に使った。通常であればエント ロピーはあるエネルギーの系のとりえる状態全体に対して定義するものなので、 ここで書いたような、連星のエネルギー毎にエントロピーを計算するような表 現は少しおかしい。が、連星のエネルギーが変わらない範囲では定義できるの で、そういう定義だと思って欲しい。
この意味では、連星の軌道長半径を小さくしていけばエントロピーはいくらで も増やすことができることになる。言い換えると、安定な熱平衡状態はそもそ も存在していない。
安定な熱平衡状態が存在していない時に熱力学的な議論から系の状態について 何かいうことはそもそも可能か?というのは原理的な困難がある問題だが、 こういう時には思考実験が重要である。
実際に3つ粒子をいれて自由に運動させたら、ほとんどの場合はそれらは勝手 に運動している。たまに2つが近接遭遇して散乱され、エネルギーを交換する が、2体運動では相対運動のエネルギーは保存するのでそれによって2つが結合 状態になることはない。
たまたま3つが非常に近づくようなことがあると話は変わってくる。 確率的には、そのうち2つが結合状態になることが起こりえるからである。
では、できた連星がどうなりそうか、というのを少し考えてみる。
まず、結合エネルギーが小さい場合を考える。軌道長半径は大きく、軌道速度 は(3個目の粒子との相対速度に比べて)小さい。この時には、3個目の粒子が近 くを通った時の影響は、インパルス近似で評価できる。
インパルス近似は、相互作用している間に位置が変わらないものとして 速度変化を直線軌道を積分して求める方法である。
この時、連星の星同士の相対速度には、統計的にはランダムな変化が加わること になる。基本的には2体緩和と同じであり、元々の2つの星の相対速度が小さい のでこれを加熱、つまり加速する項が効く。この結果、軌道長半径が大きい連 星は、他の星との相互作用でますます軌道長半径が大きくなり、最終的には分 解してしまうことになる。
これに対して、軌道長半径が十分小さい場合を考えてみよう。
この時には上ののインパルス近似のような議論は難しいが、自由度を 連星の内部運動と、連星の重心と3つめの星の相対運動の2つに分けて考えると 内部運動のほうに大きな値がある。従って、確率的には相互作用の結果、内部 運動のエネルギーを3つめの星の運動エネルギーに渡す方向になる。つまり、 連星は軌道長半径をより小さく、軌道運動の速度をより大きくする。
ここまでの議論をまとめると、連星は
という性質をもつように思われる。
上の性質を、システマティックに連星と第3星との相互作用を扱い、近似的な 議論や統計的な議論と数値積分の結果を比較して議論したのが Heggie (1975, MNRAS 173, 729-787) である。ページ数からわかるように 59ページあ る長大な論文である。
Heggie が示したことは、基本的には上の思考実験は正しく、連星がよりハー ドに(結合エネルギーが大きく) なるかどうかは結合エネルギーと周りの星の 平均的な運動エネルギーの比で決まる、ということである。境界の値は [ が平均の運動エネルギーとして]である。
もうひとつ重要なことは、ハードな連星がよりハードになるための主要なプロ セスは、他の星が非常に近くを通り、1つと交換(exchange)するとか、しばらく 3体が結合状態になってから1つが打ち出されるとかいった強い相互作用 (resonant interaction)が主であるということである。2体緩和の時のような、 遠くを通ったものの摂動はあまり効かない。
これは、連星のエネルギーは断熱不変量で、場のゆっくりとした変化ではネッ トに変化しないからである。Exchange や resonant interaction の場合、平均 的には1回の相互作用で連星のエネルギーが 40% 程度増える、ということがわ かっている。
なお、特に resonant interaction の場合、打ち出される星は3つの中でもっ とも軽い星になる確率が高い。これは、熱力学的な議論からもわかることで、 等分配になる傾向があるので軽い星は速度が大きくなるのである。このことは、 相互作用によって連星はより重くなる傾向がある、ということである。
なお、連星の角運動量については、遠くを通った粒子や、それ以前に系全体の ポテンシャルといったものの効果も無視できない。
恒星系において、連星が特別な役割を果たすのは衝突系に限られる。その理由 は単純で、無衝突系では原理的に連星は単純にその合計の質量をもった星とみ なしてよいからである。
具体的な例として太陽系を考えてみる。もちろん太陽系は連星というわけでは ない(連星であるという話もあるがちょっと別の話である)。しかし、地球を始 めとする多数の惑星をもっている。その軌道周期は1年から数百年の程度であ り、典型的な連星とあまり変わらない。
太陽系の進化を考えるにあたっては、他の星との相互作用はそれほど重要では ない、ということになっている。実際問題として、太陽系ができてから現在ま での間に例えば地球の軌道半径くらいまで他の恒星が近づくようなことがあれ ば惑星の軌道は大きく乱されているはずで、現在のような 8 惑星が極めて平面 に近いところにいる、ということはありえない。
また、銀河円盤での太陽近傍の恒星の数密度、速度分散から実際に地球半径程 度まで他の恒星が近づくタイムスケールを計算することも可能である。
単位時間当りの遭遇確率は
で与えられる。ここで は数密度、 はここでは速度分散ではな く散乱断面積、 は相対速度である。
単位系として距離は , 時間は を単位とすると、速度は地球の軌道
速度が となる。太陽系の周りの星の数密度を とし、
速度分散を 50km/s 程度とすれば、
な
ので
となり、宇宙年齢程度の間に他の星が近づく可能性は非常に小さい。
なお、この見積もりから、100AU 程度までなら他の恒星が近づく可能性がある、 ということもわかる。つまり、太陽系の場合、 TNO (海王星以遠天体)、特に その外側のほうや、 Oort cloud の進化を考える時には他の恒星との遭遇の影 響は無視できない。
また、太陽ができた時のことを考えると、これは星形成領域でなにが起こった か、という問題になる。星の数密度ははるかに高く、速度分散はずっと小さい ために gravitational focusing が効く領域になるので、時間は短いが近接遭 遇が起きる確率は高くなりえる。このことはなんらかの影響を惑星形成過程に 対してもっているであろう。
球状星団ではどうか、というのを考えてみる。
典型的な球状星団として、半径 5pc、質量 とすると密度は となり、速度分散は 10-20km/s と上の太陽系の見積もり よりも少し小さいので、 1AU 程度の連星ならば星団の外側のほうにあれば宇 宙年齢の間他の星と近接遭遇しないこともありえる。
逆にいうと、少し中心近く(密度は であがるので)にあるとか、軌道長 半径が大きいとかだと、球状星団の中では連星は容易に他の星と相互作用する。
球状星団の中心部(コア)は、連星がなければ3体相互作用で連星ができるところ まで密度があがる、という話は前にした。連星があると、これがエネルギー源 となるので比較的大きなコアの段階で収縮が止まり、連星が使いつくされるま でそのままのサイズになる。
球状星団と連星の関係で重要なのは、球状星団の中、特にコアでは連星が容易 に他の星と相互作用するため、そのことが連星の進化と星団の進化の両方に影 響することである。
まず、相互作用が連星に及ぼす影響を考えると、上で述べたように重い星が連 星と相互作用すると、その結果重い星が連星に残り軽い星が打ち出される。こ のため、コアでは中性子星や重い白色矮星を含む連星が増えることになる。
実際、球状星団には、 LMXRB (低質量X線連星)やミリ秒パルサーが異常に多い ことが知られている。銀河内の LMXRB の半分程度が球状星団の中にあるし、 ミリ秒パルサーも球状星団の中に非常に沢山(ここ数年でどんどん見つかって いる)ある。これらの形成過程については、相互作用が重要と信じられている。
中性子星-中性子星連星についても、球状星団が重要な供給源である可能性が ある。これについては、理論的なみつもりはやった人によって桁で違う答えが でており、もうちょっと信頼できる理論モデルが必要である。
少し毛色の違う例として、惑星形成過程を考える。
現在の標準的な惑星形成モデル(いわゆる京都モデル)では、惑星は、ダストが 重力不安定や衝突で集まって成長する。この過程で連星ができたりしないか? という話である。
標準的な惑星形成理論では、連星の形成は考慮されていない。その1つの理由 は、地球領域では(おそらく)あまり重要ではないからである。
連星が安定に存在できるためにはヒル半径の十分内側にいる必要がある。
具体的な式は適当な教科書をみて貰うとして、 Hill 半径の 1/2ないし 1/3 程度が安定性限界となる。これは、例えば地球の場合は 50万km 程度であり、 地球半径の 100倍以下である。
100倍というのは随分大きな差のようにも思えるが、連星形成過程を考えると そうでもない。
元々連星がないところで連星ができるプロセスは基本的に以下の2つである。
それぞれ、後でもう一度扱うが、とりあえず 3 粒子の相互作用の1例を:
これは、円軌道の連星と、もうひとつの星の正面衝突の例である。複雑な相互 作用の結果、星の2番目と3番目が入れ替わって、元は円軌道だったのが離心率 が大きな連星になる。このようなので複雑な相互作用では、途中で2つの星が 近接遭遇することがあるし、また、途中で3つのうち1つがかなり遠くにいって しまうこともある。
つまり、元の連星の半径がヒル半径に比べて十分小さくないと、このような3 体相互作用の途中で一つがヒル半径の外側にいってしまうとか、あるいは衝突 するとかいったことが起こる。
このため、3体相互作用で連星ができたり、それが他の微惑星とさらに相互作 用するといったことは比較的重要ではないはず、と考えられている。
但し、実際にはこれまでの 体計算では惑星の物理半径を大きくして計算を 加速するテクニックが使われているので、本当のところがわかっているかどう かは不明である。
また、仮に地球領域では重要でなかったとしても、より外側の木星や海王星の 領域ではヒル半径が大きくなるので、相対的には微惑星の半径が小さくなった ことになり、連星形成が起きやすくなると考えられる。実際、いわゆるメイン ベルトの小惑星には、連星といえるものは殆どない(「衛星」的な、小惑星の 周りをずっと小さいものが回っているものはある)が、 TNO (海王星以遠天体) の中にはかなりの割合の連星があり、これは軌道長半径も大きく、質量比も 1:1 に近い。これらについては、その形成プロセスや、惑星形成過程に対する 影響の研究が始まりつつある、という段階である。
例によって密度一様、速度分散がマックスウェル分布の恒星系で連星ができる 確率、というものを考えてみる。係数の細かいことは別にしてスケーリングだ けを考える。
これは、「2つの粒子が十分近くで相互作用している間にその近くにもうひとつがくる確 率」と考えられる。
質量 速度分散 数密度 とする。
1つの粒子を考えると、十分近い距離というのは なので となり、散乱断面積は である。従って、1つの粒子 がもうひとつと相互作用する確率は となる。相互作用している時間は であるので、相互作用している間にもうひとつと相互作用す る確率は となる。
恒星同士の2体の非弾性散乱によって本当に連星ができるのかどうかは本当の ところはよくわかっていない。もちろん、十分に近くを通れば2つは結合状態 になるし、その時に全角運動量を保存したままで円軌道の連星に進化するとす れば軌道長半径が最初の遭遇の時の近点距離よりちょっと大きいところ(計算 すること) で連星になる。
しかし、実際にそううまくいくかどうかは一部の質量が角運動量をもって逃げ ていくとか、星の内部の振動と軌道運動の間に共鳴が起こるかもしれないとか を考慮すると変わってくる。
大質量のブラックホールと普通の星、といった場合についてもこれは同様で、 連星になるケースが本当にあるのかどうかはわからない。
連星になるとすると、十分に近い距離、というのは基本的には単に星の半径の 程度になる。半径 が 90度散乱の距離 に比べて十分小さい時には散乱断面積は になり、形成確率は の程度になる。 なら連星にならないことに注意。
単位時間当りのエネルギー変化は軌道長半径に依存しなくなる。
最終的には星団のポテンシャルからでていくか、合体で壊れる。
ある程度ハードになると自分も相手も相互作用した後に星団コアから打ち出さ れるので、直接加熱になるかどうかは自明ではない。通常の理論モデルでは indirect heating といって、質量が失われる効果だけを考える。
現在のところ、星団内の連星の離心率の進化については殆どなにもわかってい ない。
重力波による中性子連星の合体確率等を考えるには極めて重要である。
この文書はLaTeX2HTML 翻訳プログラム Version 2002-2-1 (1.71)
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を用いて生成されました。
コマンド行は以下の通りでした。:
latex2html -nomath_parsing -local_icons -show_section_numbers -split 0 note10-e.tex.
翻訳は Jun Makino によって 平成24年10月2日 に実行されました。