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3. 何故楽をしようとしないのか、ということ。(2009/6/10)

ここまでに書いたことは、要するに、

    計算機のほうが上手くできることは計算機にやってもらって楽をしよう
ということである。こんなことは当たり前だと思いたいわけだが、意外にそう でもないような気がする。 前章では、人がわざわざ時間と手間がかかる方法を選ぶ理由(建前)として、

    よい方法があるかもしれないけど、今は急いでいるから。このやり方でも
    数分で終わるんだから、勉強するよりこっちが速い。
というものを紹介した。しかし、これは本当に理由なのか、というのは、かな り疑問ではないかと思う。ここで根本にあるのは、

    難しいことを考えたくない
つまり、「考えないことによって楽をしたい」という考え、あるいは

    自分には難しいことはわからない、したくない
という、自己評価の低さ、自信のなさ、それと表裏一体の

    「もう少し賢くやれ」といわれることへの反発
ではないかと思う。まあ、もちろん、単に私の教えかたが学生にとって不愉快 なものであるからかもしれない。私の知る限りでは、多くの日本人の大学教師 は、学生を相手にする時に

        こんなことも知らないの?
という調子の、かなり学生から見ると不愉快な態度をとる。これに対して、私 が個人的に知っている欧米の大学教師にはあまりそういう態度をとる人はいな いように思われる。もちろん、これは単になんらかのセレクション・バイアス のせいかもしれないし、良く知らない欧米の大学教師には結構アレな人が いるというのも全く知らないわけではないので、日本人だからどうというわけ ではなくて大学教師というものがある程度一般的にそういう傾向があるのでは ないかと思う。

もちろん、研究を進める、特に自力で研究を進める上では、自分の研究成果に 対する、多くの場合には理不尽な批判に耐え、さらにはそういう批判に反論し て叩きつぶすことがどうしても必要であり、そのための訓練を早い時期からす る必要がある、というのは確かであり、また特に日本人にはそのような、他人 に対して攻撃的な態度をとることは難しい、ということはあるかもしれない。

が、そういうのは発表練習の時とか、実際に論文を書いた時にすればよいわけ で、普段からそういうやり方で指導する必要はない。

これは、(大学)教師の側だけの問題、というわけでもないと思う。というのは、 日本の教育では、「自分で考えて、試行錯誤して問題を解決する」というよう なことは特に推奨されないのに対して、研究も、またプログラミングも、「自 分で考えて、試行錯誤して問題を解決する」ことそのものだからである。しか し、大学学部までの教育で教えられ、身につくのは、せいぜいが「教師の望む ような答を無意識に推測する」能力であって、未知の問題を解決する能力では ない。もちろん、たまたまどういうわけか未知の問題を解決する能力を自力で 身につけた学生が、自覚的に教師の望む(あるいは望まないけれど減点しない、 あるいは少ししか減点しない)回答を作ることで定期試験や入試のシステムを突 破してくることもある。この場合には、教師への不信感が色々なことの妨げに なることもある。自力で問題解決ができる範囲では OK だが、自力で身につけ たスキルがあまり高くない場合には、低いレベルでできることが止まってしま うことになる。

つまり、大学教師に側に教えるスキルがないだけでなく、学生の側に何かを 教わる経験がない、という問題もある。

まあ、この辺はいわゆる「コーチング」とかそういう技術の問題、という面は もちろんあるが、やりたくないことをやってもらうのはどうしても難しい。 いわれたことはしなくてもどこかで読んだことはやってみるとか、 その逆とか、人はそれぞれなので、その人に合いそうな色々な方法をとってみ て上手くいくものを、というくらいかもしれない。

まあ、その、こんな文章を書いているのは要するにそういうことである。
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