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16. 科学とその退廃 (2012/3/25)

去年 3/11 の地震、それにつづいた福島原発の事故から 1 年が過ぎました。

ある意味、もっとも驚くべきことは、これほどの大事故から1年たった今になっ ても日本政府はまだ全原発停止に踏み切れていないということでしょう。

何度も書いたことですが、日本に54基ある原発のうち4基が事故を起こし、 これまで世界で1例しかなかった INES レベル7の事故となって膨大な量の 放射性物質を主に東日本と太平洋にばらまいたわけです。

関東の人間にとっては極めて幸運だったことに、大量の放射性物質が関東に飛 来した 3/15 には関東では降雨は殆どなく、関東の高レベルの汚染は 3/15には 起こりませんでした。が、福島県まで吹き戻されたあとの雨で中通りは汚染さ れました。

今日事故が起きなかったから、明日もまた大丈夫であろう、と思うのが人間で あり、なのでどれほど科学的に危険を訴えても実際に大事故が起こるまでは 問題を解決しようとしない、というのは世界中どこでもある話です。しかし、 3.11 以後の日本では、昨日事故が起こったのに、何故か明日も明後日も明明 後日も事故が起こることはありえないと相変わらず思っているかのごとく、 原発の稼働を続けようとしている人々が、少なくとも政治家、産業界の 偉い人の中には多数いらっしゃるようです。

3/19 現在で稼働中の原発はわずか2基となり、このまま原発を稼働させないで もすみそうな気がするわけですが、何故かわからないのですが現政権は原発稼 働に大変積極的です。

ここで、何故かわからない、と書いたのですが、それでも何故かをもうちょっ と考えてみよう、というのが現在この文章を書いている目的です。

とはいえ、現在の私の考えは、それにはそれほど難しい理由があるわけではな いのではないか、というものです。

私の比較的身近なところで割合大規模なプロジェクトというと、宇宙研(JAXA の元々宇宙科学研究所だった部分)の科学衛星や、国立天文台における様々な 開発プロジェクトがあります。宇宙研の科学衛星では ASTRO-G の中止が しばらく前に話題になったところですが、これは開発費の相当な部分を使って しまったにせよ、かろうじて最終的な「ゴー」の判断にいく前に中止できた 例です。もう少し具合の悪い結果になっているのが Lunar-A というプロジェ クトで、数次の目標縮小を繰り返したあげく凍結、となりました。

JAXA の旧宇宙開発事業団側を見ると同じような話で打ち上げまでいってしまっ たものにことかかないわけですが、その代表格というべきものは J-1、J-1改、 GX と続いたあげく最終的に放棄された中型ロケットです。

GX の開発の歴史はなかなかすさまじいもので、当初3年、500億円で開発する 話だったのが、5年たった 2008年でさらに5年、開発費も総額2000億程度と なったのですが、2009年度の仕分けをうけてやっと中止にできたものです。

話を原子力にもっていくと、GX よりもさらに悲惨な開発失敗の歴史が 続いています。「新型」転換炉は原型炉ふげんが「成功」したあと 実証炉が計画されましたが、あまりの高コストのため中止となりました。 高速増殖炉にいたっては原型炉「もんじゅ」が 1991 年に試運転が始まって 20年以上たった現在でも度々の事故のため本格運転にいたっていません。

再処理工場についても同様、10年以上にわたって「試験」が続いています。

要するに、実現性が限りなくゼロに近い上にお金の問題で到底無理、と上の方 で判断しない限り、一度動きだした何かは「成功」するまでとまらない、とい うのが、旧科学技術庁の所管であるところの宇宙・原子力分野における過去数 十年の実態であるわけです。高速増殖炉、再処理工場、GX ロケットのどれを とっても国費でまかなうことで初めて可能になったものであり、莫大な 国費を浪費しただけにおわっています。

まあ、これは別に旧科学技術庁系の大型プロジェクトだけではなく、 経産省系であろうが国交省系であろうがさして違いはありません。

つまり、日本の官僚組織(国の研究開発機関を含めて)には、「現在の業務を中 止する」ことに対する非常に強い抵抗があるように思われます。これはそれが 役に立つ可能性があるかどうかといったこととは全く無関係なものです。

まあその、例えば科学衛星の場合、何かを「中止」と決断すると、それはその プロジェクトを立案した人やそれまで研究開発に従事してきた人の経歴に傷が つくことになり、さらには例えば「◯◯天文学」という分野全体の評判、威信 に関わる、というような意識が働きます。

さらには、「仮に我々の分野のこの衛星が中止になったとしたら、今後xx年間 我々の分野では衛星を上げる機会はない。これは研究分野の維持、若手の育成 にとって致命的な打撃である」というような論理で、サイエンスの成果につな がらないものでも開発を継続するべきというような主張もでてきます。 これは別に科学衛星に限らないわけで、官僚機構のあらゆるところ がこのような論理で動いているわけです。論理というよりは 官僚機構の生態がそういうもの、というべきでしょう。

科学研究の側からみた時には、問題はそのように、科学の論理が官僚機構の生 態に取り込まれてしまっていることにあります。プロジェクトの成功/失敗の判 断、継続/中止の判断が、官僚組織的な、始めたものは必ず「成功」しないとい けないという要請によって歪み、そのことが科学的な判断自体にもフィードバッ クされてしまうわけです。このようになると、正常な科学的見解は そのプロジェクトに対する攻撃とみなされるようになり、排除される ことになります。表題に書いた「退廃」です。

「もんじゅ」のような技術的にはどうにもならないものがいまだに開発中止に なっていない事情はこのようなものと同じ構造にある、と考えるのがもっとも 納得できる解釈であると思います。

そう思うと、事業としての軽水炉による原子力発電も衛星や高速増殖炉と同じ 構造の下にあるように見えます。例えば原子力工学の専門家コミュニティ全体 にとって、商業的な原子力発電が一旦全面中止になる、ということはコミュニ ティの存続に関わる極めて大きな打撃になることはいうまでもありません。そ の当事者が「現在の原子力発電所も安全に運用可能」と「科学的根拠」をもっ て主張したところで、それはどうみても成功の見込みがない(なかった)GX やも んじゅのプロジェクト責任者の公式見解が「もうすぐ成功」でしかありえない のと構造的な違いはありません。

このことは、官僚・政治家の公式見解が、「安全性については(原子力工学の) 専門家の判断を信頼する」というものであることは、自動的に「安全である」 という結論につながる、ということを意味します。

まあ、状況が専門家でなくてもわかる程度まで悪化すれば、それでも物事は止 めることができるようになるわけです。GXロケットはそうだったわけですし、 もんじゅも遅くてもあと数年から10年の間にはそうなるでしょう。

軽水炉の商業利用については、近い将来に状況がだれにでも明らかにわかる程度 まで悪化する可能はあります。例えば今回の事故で目立った健康被害が明らか になる、あるいは経済的損失の大きさがはっきりする、といったことがあれば そうなるでしょうし、なにより、第二の事故が起こり大都市圏に今回の福島県 中通り程度の被害が及ぶ、といったことがあればそうなります。

まあ、日本の産業政策は少なくとも第二次世界大戦以降の60年間ずっとそうだっ たわけです。半導体産業においては初期に若干の成功がありましたが、最近20 年間に日本の半導体産業は衰亡の一途を辿り、その間の莫大な国からの投資・ 援助は延命の助けになったというよりは足を引っ張る効果があったようにみえ ます。計算機産業においても同様で、80年代以降意味のある産業政策を実行で きていません。その意味では、原子力産業が特別なわけでは決してありません。

しかし、そうはいっても原子力に固有な事情はあります。当初から民間主体で は事故があった時の補償が不可能であることははっきりしており、そのために 原賠法が作られて電力会社の負担に上限を設定したわけです。この上限の存在 の結果、電力会社による電力コストの見積りは本質的に無意味なものになり、 さらに安全性のために努力することも、本来はリスク低下からコスト減につな がるはずのものが、コスト増としか認識されなくなったわけです。このため、 電力会社にとっては、事故のリスクがなんであれ、安全対策をなるべくしない で原発をどんどん建設し、運転することが合理的です。

また、そのように潜在的な危険が大きいものの建設を進めるために電源三法交 付金制度が導入され、原子力発電所を新規建設したところには莫大な税金が流 れ込む仕掛けを作っています。このため、一度原子力発電にコミットした地元 自治体が意志を変えることは極めて困難になっています。つまり、官僚機構の 生態を制度化して地方自治体に移植しているわけです。

まあその、強固なシステムではあるのですが、だから日本が滅びるまでどうに もならないか、というと、 3/26 に柏崎6号が停止すれば運転中の原発は北海道 の泊3号だけ、というところまできているわけで、もちろん楽観的になれる状況 ではないにしても、再稼働も容易ではないという認識も政権側にもあるように みえます。原子力規制庁の発足が順調に遅れていくと、現状では再稼働も遅れ ます。そのような政治的判断もあるのでしょう。そのうちに、「原発は止まっ ている」というのが「現状」になっていくかもしれません。実際、3つできた事 故調査委員会の報告はどれもそんなに違う内容にはなりえないわけで、

になります。そうすると、対策なしに再稼働、とできるかどうかはなかなか 難しいように思います。

まあ、現実的にみて事故の対策なんかできるはずはない、というのは 「科学」2月号に書いた通りなのですが。
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