1.2. 大橋順東大教授
大橋順東大教授の資料は
新型コロナウイルス感染症の 流行予測 正しく理解し、正しく怖がり、 適切な行動をとるために
です。
大橋氏は、SEIR モデルと言われる、少し複雑なモデルを使っています。これ
は、感染してから発症する(厳密には、人にうつすようになる)までに時間が
かかる、というモデルです。潜伏期がある、ということの簡単なモデルです。
方程式系は、この、感染したけどまだ人にうつさ
ない人の割合を e として
となります。 は1としてよくて、 e,x,y が小さいところでは
yの振舞いは e, x に関係ないの
で、その時のこの方程式の振舞いは行列
の 固有値で決まります。固有方程式は
で与えられるので、固有値は
で、大きいほうの固有値が で0になることがわかります。なの
で、 、つまり、潜伏期の長さに無関係に、 の値だけで
感染者が増えるかどうかは決まります。ではには意味がないか、と
いうと、これがあることによって固有値は常に より小さくなります。つまり、
遅延があることによって、指数関数的な成長が、
で決まるタイムスケールより遅いようにみえる、言い換えると
が小さいようにみえる、ということです。
資料では、単純に として、これを1程度にした場合を議論してい
ます。西浦氏の議論との最大の違いは、
外出制限など各人の行動量(他人との接触頻度)をいかに40%(=1/Ro)に近づ
けるかが重要 (スライド24)
として、何故か を目標としていないことです。このため、西浦氏資料と同じ
で議論しているのに、目標とする
の減少の割合が80% と 55% で大きく違うことになります。
しかし、「科学」の記事でも述べたように、そもそも「でしかも1に近い
ところ」は外出禁止等によってもっていくべき適切な目標ではありません。
これは、 を維持すると膨大な死者がでるからです。
例えば、55%減らした、という時にはこのスライドの23ページにあるように、
全人口の概ね2割が最終的に感染します。死亡率を1%としても、
20万人が死亡することになります。これはあまりに膨大な数です。
このことから、西浦氏のモデル計算と大橋氏のモデル計算に本質的な違いはな
いが、大橋氏の目標設定が55% と 西浦氏の 80% に比べて厳しくないのは、
「多数の死者を容認する」ことと少なくとも結果的には等価であることがわか
ります。
1.3. 佐藤彰洋横浜市大教授
佐藤氏のモデルは4月7日の毎日新聞で紹介されました
福岡99.8%、東京98% 新規感染減に不可欠な「行動抑制率」 専門家が試算
感染拡大はどうしたら抑えられるのか、専門家によるシミュレーションが相
次いで出されている。ただ、緊急事態宣言の発令地域では人の行動を非常に
厳しく抑制しなければならず、現実的には極めて難しい。
佐藤彰洋・横浜市立大教授(データサイエンス)は発令地域を含む15都道府
県を対象に分析。自治体が発表する新規感染者数と、感染・発症後に回復す
る人の割合を基に、感染した状態の人数の推移を算出した。新規感染者が大
幅に増える時期より前の行動を「100%」とし、人と人との直接的な接触を
今後2週間で何%減らせば、長期間新規感染が確認されない状態に近づくか
目標値を示した。
その結果東京都の場合、公共交通機関の乗車時間と面会する人数を各個人が
98%減らす必要があった。
(後略)
この議論の根拠となるモデル計算は
都道府県ごとのシミュレーションによる検討です。
これは、大橋氏のモデルをさらに複雑にした、遅延を微分要素ではなく
本当に時間遅れ(感染してからちょうど2週間後に発症)とし、
さらに確率的なゆらぎをいれたものです。確率的なゆらぎは
今回の解析にはほとんど意味がないのですが、
遅延モデルと、遅延の大きさには意味ががあります。
確率的なゆらぎを無視し、遅延をいれた方程式系は、以下のようになります。
ちなみに、佐藤氏の式は つまり潜伏期の人の割合が明示的に
書かれていなくて、 で の第一項が
、つまり、規格化した変数で書くと
という少し不思議な形になっているようです。
以下の議論では e,x,y が1より十分小さい場合を考えるので、振舞いは変わら
ずここでの結論は同じです。
(最初のバージョンではここの記載に間違いがありました。 @ceptree 様に感謝します)
4/16 追記
@ceptree 様から
SEIR epidemic model with delay
という論文があることを御教示いただきました。これの 1.3 式から通常の誕
生・死亡を除いたものが上の私が修正した方程式系になっています。
4/16 追記終わり
遅延は非線型項なので、大橋氏のものでやったような線型解析はやりにくいのですが、
できないわけではありません。e,x,y が1より十分小さいとすれば、この方程式系は単に
です。これに指数関数的な解 があるとして
となります。現在までの感染者の増加率と、回復者の増加率をフィットするよ
うにこれらのパラメータを推定するわけですが、佐藤氏は上で述べたように
を14日に固定しています。このため、
実際のこれまでの増加率をあらわすのに必要な
の値が1以上と極端に大きくなっています。
上の式を書換えると
となり、 の値の分大きくなるからです。
また、
(佐藤氏の定式化では ) は、いくつかの都市で 0.01、
つまり、
他の人にうつさなくなるまで100日程度かかる、という値になっています。こ
れは、退院までの日数から推定したものと思いますが、おそらく日数を過大評
価、すなわち、 を過小評価しています。退院は、本当に確実に治っ
た、というところですが、人にうつす割合はもっと速くさがっているはずだからです。
このモデルでも
なので、が100を超えるような極端な値にな
り、1%に落とす必要がある、という結論がでてくるわけです。
1.4. まとめ
3氏の解析を概観しましたが、必要な の減少率については、大橋氏はモ
デルパラメータが同じ西浦氏に比べて明らかに過小評価、佐藤氏はモデルその
ものが過大評価を与えるものになっていて、信頼できる結果とはいえないこと
がわかります。
西浦氏のモデルは、 という仮定が正しい限りにおいては、単純
化したために現実との比較に注意は必要ですが、結果自体に大きな問題はない
ようにみえます。但し、 は中国での推定ではもっと大きいようでもあ
り、また、日本での現在までの検査体制で
を正しく推定できるかどうかは原理的な問題を含んでいます。
従って、数理モデルとしては正しいものの、結果の「8割」を無条件に信頼で
きるとは
いえないのではないでしょうか。